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2003年3月1〜2日:ムーンライトながらに乗る

静岡県下の駅を撮影するために、初めて乗車するムーンンライトながら号と、それにまつわる諸々の話です。

ムーンライトながら号。その昔は「大垣夜行」と呼ばれ、貧乏旅行者にとっては有名な列車である。歴史は以外に長く、話は昭和39年の東海道新幹線開業前に遡ります。この時のダイヤ改正で、東京〜大阪間の夜行普通列車の廃止が発表された時、発表するや否や全国から多くの反対の声が当時の国鉄に寄せられた。「1本でいいから東京〜大阪間を走る夜行普通列車を残してほしい。新幹線だけが鉄道ではないはずだ」。こんな声が当時の国鉄総裁の心を動かし、とうとう新幹線開業後も存続決定。これが現在の快速「ムーンライトながら」に続いている。以前は急行用の車両を使用し、グリーン車も連結しているものの、全車自由席と言うことで、東京発車4〜5時間前から席取りの列が見られたものである。ただ、未だに長期休みのシーズンになると、全車自由席の臨時列車(救済臨時列車と呼ばれている)が運転されるため、ながら号の指定券が買えなかった人はこの列にまぎれることになる。

JR移行後、平成8年には車両が特急用車両に変更になり、同時に指定席車が設けられ、列車名も「ムーンライトながら」という名前が与えられ、現在に至っている。

▲指定席券。乗車一ヶ月前の昼間に買いに言っても通路側の席。

大阪駅21時発の新快速電車でまずは米原駅へ。この電車が「ながら号」に乗り継ぐには一番良いのだが、いかんせん最近のJR西日本は、ちょっとしたことで平気で30分ぐらい運行が停止することがある。「頼むから電車に飛び込まんでくれぇ」などと訳の分からないことを祈りながら、定刻22時20分、米原駅到着。

米原駅からは大垣行きの普通列車に乗り換える。立ち客はいないが、席が全て埋まっていると言う、微妙な込み具合であるが、いかにも今から夜行で出かけます、と言った風情の人が多く見られる。事実、新快速電車からも結構な乗り換えがあった。途中駅での乗客の乗り降りはほとんどない。どうやらこのままで大垣駅に向かうのだろう。

▲大垣駅まで乗ってきた普通電車。

22時56分、無事大垣駅到着。「ながら号」の発車は跨線橋を渡った1番ホームである。ほとんどの乗客が1番ホームを目指す。大垣発車時点では全車指定席なので、大急ぎと言った雰囲気は全くない。どちらかといえば、まったりした空気が流れている。「救済臨時列車」が運転されるシーズンは、「ながら号」と発車時刻が接近しているため、かなりの混雑が見られるはずだが、まだ臨時列車の走る時期ではないため、あわただしさは全くない。

タバコを一服吹かし終わったところで、列車入線。

▲ながら号の入線を待つ1番ホームの風景。

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